いろいろと歳をかさねて

ブログを休んでいた間に月日がたった。

ここ一年は私が休み、英気を養う時期だった。

このHPを始めてからたくさんのチャンスをいただき、多くの展示の機会をもらい、刺激的な人々との出会いやアクティビティは精神、肉体の冒険をくれた。知的妄想のなかで過ごしていた自分から正直こんなに飛べるなんて・・・

と驚いた。

 

しかしそれと同時に自分の中のある種の空虚な気持ちが出てきた。

どれだけあこがれたことをしていても何かむなしい。こうした気持ちは私の作品のエネルギーを減退させた。

今までの私の創作はかなわないものの欲求、渇望から生まれていた。

しかしこの数年実際その欲求を全部、表層的にかなえてしまってきていたのだ。

実は私の中の渦巻き、醜い感情をすべてをかなえることになっても、果たして自分はまだ描いているのか?

そうした先に見えてくる景色はどんなだろう?と思った。

正直、そうした先の答えは実はわかっていた。

 

 

 

答えは果てしない空虚だ。

 

 

 

去年香港の某米国超大手のギャラリーに行った。壁にはとてつもなく大きな絵が五枚かけてあった。それだけ。色もきれい。一見軽そうに描いてはいるが構図すべてをとっても無駄のない高度な作品だ。

さて、この絵はだれのもの?

その絵はお金持ちに所有される絵です。

だってこんな大きな作品、置く場所がないもの。

だってこんな高価な作品、買うことできないもの。

だってこんな作品を買っても、、、、、、

結局私は思った。

作者の思惑はどうか知らないが、

 

 

こうした作品は金持ちの壁紙なんだ、

 

しかも一点物のこの世に一つしかない壁紙。

自慢の人に見せれる壁紙。

 

 

今まで作品を作ってきて、いきつく先は見えないが、作家としての頂点はそうしたギャラリーだと思っていた分、とても拍子抜けした。

こうしたことを確認できた今それを漠然と目指していた私の根柢にあったものはさまざまな欲であったと気づく。

 

 欲望というものは一つかなえても際限がない。