制作者の多くが作品で訴える負という感情およびテーマがある。

鑑賞者もその紡ぎだす負を求めている。

しかし私には負は向かない。

そんなにたくさん恨みを思い続けれないし、作り出せない。

 

世の中には負を先天的に作り出すのに長けてる人がいる。

何をしても苦悩してしまう人。

ピュアすぎて自ら摩擦を起こし傷ついてしまう、どうしても傷ついてしまう人

何らかの過去に大きなトラウマのある人

制作者の多くはそうした人々だろう。

しかし私は彼らの様にはできない。

ピュアな気持ちも、トラウマもないのだ。

 

 

そのかわり私には欲と保身がある。

制作してない大半の人が抱えているものと同じ欲が

 

 

制作者の多くが負から逃れられないように、私は欲から逃れられない。

 

高潔な欲ではない。

もっとミーハーな、もっと一般的な、もっと凡庸なもの

それが私につきまとう欲の種類だ。

 

多くの芸術家がそう望まれるのと真逆なもの。

 

 

大学時代、山里にこもり制作をしながら欲を叶えられず発酵させてばかりいたが、私はそれを2013年から2年ほど幸か不幸か具現化できてしまった。それはもうなめらかに。少なくとも表層的には・・・おかげで私はここ1.2年人生の空しさを味わっていた。

叶ったはずのものが、何か表面だけをなぞっているようにしか感じず、感動がわかず無気力になってしまう。あの時山籠もりし切望していた夢とは何かが違った。

 

勝手に先が見えると思い無気力になった。

 

以前は夢が叶わずうらみ、ねっとりしたいらだちの感情が長く続いたが、あの時の方が生き生きと自分の爪をとぐことができた。

私の欲は小さくなった、だがつぎつぎと湧いてくる。逃れられない。

 

 

私は人生においてどうしてもまとわりつく自己の欲、そして興味深い他人の欲を研究し、それを作品に昇華していくのが自分の役目である。